近所の神社で河津桜が咲いている。いつの間にか春が近づいて、時間が経ったのだなあと思い知る。あの頃、いつか絶対に叶えてやると思った夢を、まだ、見続けている。
深海で眠りたい。 心に負荷がかかっているときの休み方、これまで学んできたつもりでいたけれど、全然下手なままだった。ひとりじゃどうしようもないのに、たったひとりになりたくて、耳も目もすべてを閉じて自分だけを抱えて息を止めていたい。そんな気分。
実家の勉強机の中、レターセットの便箋を2、3枚めくったところに、手紙の下書きと思わしき文章を発見した。内容からしておよそ10年ほど前に書いたもので、恐らく、出せていないまま。
ドラマなんて起こらない私たちの日常には、それでも歌が必要だ。
秋になり、しばらく伸ばしていた髪をばっさり切った。顔周りの髪がなくなり、常に両耳が見える程の、これまでで一番短い、ショートヘア。自分でも気に入っているし、切ってよかったな、と思う。髪も染めたし、化粧も変えた。気分を変えるために、わかりやす…
一夜明けて、わたしには昨日と同じように当たり前に朝がやってきた。歯を磨いて食事をして、身支度を整え電車に乗り込む。いつも通りの街が、窓の外を流れていく。
今日は星がよく降っているから、どこへもいくことができない。
音楽がすきだ、と言葉にすることに、抵抗があった。
がんばって、と言うことは、たとえそれが本心だとしても、何よりも大切なきみを追い詰めてしまうことに、ならないだろうか。
仕事で北海道にきている。これまでも何度か訪れたことはあったけれど、冬の北海道を経験するのは初めてで、寒がりで冷え性なわたしのトランクは防寒グッズでいっぱいだ。
エンドロールで聞こえた声を、あのとき込み上げた感情を、わたしはきっと、忘れない。
はじめまして。 そしていつか、さようなら。 この力いっぱいの泣き声を、きみがわたしの背を越えたとき、 きみは覚えているだろうか。
恋愛関係にある相手のことを第三者に伝える場合、おそらく大多数のひとは「彼氏」、または「彼女」という言葉を使う。「恋人」という表現を選ぶのは、おそらく少数派だろう。
コーヒーを飲んで、深呼吸をする。毎日見ているこの空は、見上げるひとによってはきっと、低くて狭く見えるんだろう。いつの間にか、慣れてしまった。
和食って、きれいだ。
久しぶりにあった友だちの足元が、あの頃と変わっていなくて安心する。変わらないことにほっとするだなんて、わがままだね。歩道橋を登るコンバース、わたしはいつも後ろをついていくばかりだな。
雨の予報も外れて、約束の紫陽花は、気のはやい花びらたちが競うように咲いている。
初夏。気付けばそう呼ばれる季節になったね。今年は雨が多いみたい。ビニール傘が、踊る、踊る、踊る。落とし物はいつだって透明だ。
視力が落ちたせいで、イルミネーションが都会に溶けて滲んで見える。空気が冷たくなったね。夜が迎えに来る。毎年この季節になると、思い出す景色が、わたしにはあります。
その怪獣にはこころがあった。
そのサカナは深い海のような、澄んだ夜空のようなきれいな青い鱗をもっていました。昼は冷たく静かな海の底を泳ぎ、夜になると星が瞬く夜空を飛び回ります。
言葉にするほど軽くなる。希釈されていく。本当に大切なものは言葉になんて、できない。
紫陽花も見ないまま、梅雨が明けました。夏は夕立と、風鈴の音がすきです。夜、肌に残る日焼け止めの匂いが、これまでの過ぎた夏を懐かしくさせますね。
諦める、とは、どういうことなんだろう。
いつか、水たまりもできない街になる。
強がりは結局、誰のためだったのかな。
同じ星座を辿れなくたって、伝わることは、ちゃんとある。
不思議な街だと思う。 気が付けばずっと、東京という街について考えている。 なんでもあって、なんにもない。 確かに不便はないけれど、それじゃあ自由はあるのかな。
瀬戸内の海はいつもわたしの気持ちを穏やかにしてくれる。 もともと海がすきということもあるが、 初めて四国の海辺で瀬戸内海と対峙した瞬間の、 あの驚きは恐らくこの先も忘れないだろうと思う。