雨の日曜日

宛先もわからないまま

忘れられたラブレター

 実家の勉強机の中、レターセットの便箋を2、3枚めくったところに、手紙の下書きと思わしき文章を発見した。内容からしておよそ10年ほど前に書いたもので、恐らく、出せていないまま。

 

 実家で探し物をしていて、まさかこんなところにはないだろうと机の中を漁っていたら、思いがけず過去の自分に出会った。あまりに素直な言葉で書かれていて、内容も文体も今よりずいぶん幼い。けれど、当時抱えていた気持ちに間違いなかった。そしてもっと言えば、今もまだ思い続けている。

 

空がデザインされた便箋に、青のペンで書かれた文字。そういえば、青いペンでラブレターを書くと思いが伝わる、なんて文章をどこかで見つけて、信じていた時期があったことを思い出す。口下手な自覚はあったから、今振り返れば縋るような思いだったのかもしれない。とにかく、青で書かれた文字たちはやけにお行儀よく並んでいて、ただの殴り書きの下書きでないことがわかる。下書きにしては、綺麗だ。恐らく、下書きの下書きが存在するか、もしくは清書のつもりで書いた言葉なのかもしれなかった。だとすると、清書までしたのにこの言葉たちは届けられることなく、暗い引き出しの中にしまわれたまま10年を過ごしたのか。もどかしいような、ほっとするような気になる。

 

文章を読み進めると、稚拙さと一生懸命さがインクから滲んでいるようにも思えて、あの頃の自分が愛おしくなる。出したかった相手には、手紙とは別の形で伝わったことも、今も誰にも言わず抱えたままでいることもあった。だけどきっと、それで良かったのだし、後悔はなかった。それに今は、お互いそれぞれの場所で生きている。

 

見つけてしまった便箋を、せめて封筒に入れてあげようかとも思ったが、今となっては宛先もない。それにもう、文字がなくても抱えていける思いだった。この手紙の頃とは違ってしまった思いもあるけれど、この先失くしてしまうこともきっとなく、心の奥の小さな部屋にしまい込んでいる。いつか、しまい込んだ気持ちを重く感じてしまう日が来るかもしれない。だけど、それも含めて抱えていくと決めた。抱えて生きて行くと決めたのだ。

 

まだ脆く、小さな震えでほろほろと崩れる日がくるかもしれない。だけど、後悔はしない。一生懸命だったあの頃の自分を、否定したくはない。10年前にこの手紙を書いた、まだまだ子どもだった私に、胸を張りたい。変わっていくものも、変わらないものもある。失うことを怖がって必死に言葉で繋ぎとめようとしていた私が今は、形にしなくても失くさないと、決めて生きている。本当のところ、結局はいつまでたっても一生懸命なままでいるしかないのかもしれなかった。

 

手紙は小さく小さく折りたたんで、捨てました。

10年後の今はもう、言葉がなくても抱えていける。