雨の日曜日

宛先もわからないまま

悲しみよ、こんにちは

秋になり、しばらく伸ばしていた髪をばっさり切った。顔周りの髪がなくなり、常に両耳が見える程の、これまでで一番短い、ショートヘア。自分でも気に入っているし、切ってよかったな、と思う。髪も染めたし、化粧も変えた。気分を変えるために、わかりやすく自分を変えることにした。

長い髪を切るときの気分は、きっと自殺と少し似ている。過去の自分を殺したくなって、何でもいいから変えたくて、変わりたくて、髪を切る。切り落とした髪が床に散らばって、なんの涙なのか、ふいに泣きたくなった。誰かのために伸ばしていたわけではなかったけれど、きっとまとめ髪の方が、白いドレスによく似合うと、そう思っていた。

腕時計、お気に入りの靴、プレゼントにもらった財布。会わない間にすべてが入れ替わって、すべてを入れ替えて、新幹線に乗った。もともと月に一度も会えない遠距離で、だけどそれでも、六年続いた。恋人は晴れ男で、会う日はいつも抜けるような青空だった。二人で会う日に傘を差していた記憶がないほど、本当にいつもいい天気ばかりだった。そして今日も、きれいな秋晴れ。

会っていた頃と持ち物も、着る服も、髪型さえも変えたわたしは、恋人の目にどう映っただろうか。知らないことが増えて、それすらもわからないまま時間が過ぎる。いつかきっと、いまは鮮明な小さな思い出も、つけ合った傷も、忘れていくのだろう。賑やかなカフェ、苦くておいしいコーヒー、テーブルに飾られた棘のない薔薇。カップを持つ荒れた指先が震えていて、見ていられなくて目を逸らした。いつも別れる改札よりも随分手前で、元気で、と手を振り合った。以前は何度も振り返った別れも、きっと初めて、振り返らずに歩いた。振り返ったところで、きっとお互いの姿は人ごみに紛れて、見つけられなかっただろう。見失ったままの最後にならなくて、よかった。その事実だけが、いまのわたしに優しく寄り添ってくれている。

思い切り短くしたせいか、職場や友人、家族まで、たくさんの人に声をかけてもらった。その中で知ったのだが、トップの髪が短いベリーショートのことを、セシルカットと呼ぶそうだ。フランス文学を原作とした1958年公開の映画に出演する女優、ジーン・セバーグがこの髪型をしていて、当時話題になったらしい。その役名から名前をとって、いまでもこうした髪型をセシルカットと呼ぶそうだ。映画のタイトルは“Bonjour Tristesse”。邦題は、”悲しみよこんにちは”。

相手と別れることの一番の悲しみは、相手の将来を知ることができないところだと思うと、誰かが言っていた。元恋人になった彼の未来を、わたしはもう知ることができない。同じ未来を歩く選択肢を、わたしは選ばなかった。彼の未来に、わたしはいない。

わたしの知らないあなたの未来がどうか、明るいものでありますように。いつまでもそう願い、祈っています。わたしの知らない未来で、できればこの先ずっと、長い間。どうか元気で、幸せでいてください。