雨の日曜日

宛先もわからないまま

遠くて近くて、

瀬戸内の海はいつもわたしの気持ちを穏やかにしてくれる。 もともと海がすきということもあるが、 初めて四国の海辺で瀬戸内海と対峙した瞬間の、 あの驚きは恐らくこの先も忘れないだろうと思う。

生まれが東京で、母の実家が外房にあった。 わたしの知っている「海」は太平洋、 しかも外房の、いつみても白波がたっている荒々しい海であり、 自然に対する畏怖までをも見ている者に起こすほどだった。

大学4年の頃、徳島の大塚国際美術館、 それから直島へ行ってみたいという一心でひとり飛行機に乗った。 そして初めて目にしたのだ、瀬戸内の、穏やかなあの海を。

大学を卒業して、仕事の都合でしばらくの間、実家を離れ大阪に住んでいた。 大阪の中心、梅田にも近い借り上げのマンションから、レンタカーで2時間弱。 淡路島から四国側を眺めたり、岡山から瀬戸内大橋を見たり、 高松や小豆島へ遊びにいくなど、大阪にいる間は何度となく瀬戸内へ足を運んだ。

瀬戸内の海をすきだな、と思ったのは、単なる穏やかさだけではない。 海という絶対的な自然が分断するこちら側とむこう側、 地理的な条件に加え、橋や船を使わなければ渡れない交通の問題もある。 近くみえても、遠い。遠くみえても、近い。 そんな不思議な距離感と、それから、むこう側にも 自分の知らない多くの人の「生活」がきちんとあるんだな、と思えたことだ。 みんな、たまには嫌な思いをしたり、嬉しいことがあったりしながら呼吸をしていて、日々の生活を積み重ねて生きている、そう思えて、ひどく安心した。

大人になるにつれて、諦めなければいけないこと、 うまく飲み込んで消化しなければいけないことが増えて、 できることは増えるのにやけに窮屈になっていく感覚があった。

深呼吸できる場所はありますか。 ため息を許してくれる人はいますか。 拙いけれど、いつまでたっても全然上手になれないけれど、 いつだってわたしの文章は、誰でもない、誰かに宛てて、書いているつもりです。

ちいさな「すき」や日々の通り過ぎていってしまう感情、 いまのわたしの気持ちを集めた手紙。 宛先もわからない、誰か。 あなたの気持ちのいちばん近くに、届きますように。