雨の日曜日

宛先もわからないまま

東京

不思議な街だと思う。

気が付けばずっと、東京という街について考えている。 なんでもあって、なんにもない。 確かに不便はないけれど、それじゃあ自由はあるのかな。

いつも誰かが起きている。 東京の夜景を見ると、いつも街の灯りに驚いてしまう。 誰かを待つ灯り、まだ働いているひとの灯り、 今日も最終電車はため息を吐き出して行ってしまう、灯りは消えない。 朝も夜も同じになったこの街で、誰かの灯りが誰かを照らす。

朝焼け。 まだ今日にさよならを言っていないひと、どのくらいいるのかな。 わたしの東京は、一度、空っぽになりました。 なんでもあると思っていたこの街から、わたしのとても大切に思う人がひとり、たったひとり出て行っただけであっけなく、何の味気もないコンクリートの街になった。それはあまりに簡単で、笑えるほどあっけなかった。 わたしはそのとき、生きていれば諦めなければいけないことがあると知ったし、がんばったってどうにもならないことや、気持ちだけでは変えられないことがあることを頭だけではなく身体と、こころと、とにかくわたしのすべてを使って、そういった現実というものを、はじめて理解した瞬間でした。思えばあのとき、わたしは大人になったのだと思う。

なんにもない空っぽの街を一刻もはやく抜け出したくて、 だから就職して東京の街を出られたことは、よかったのだと思う。 次に東京に戻ったときにはもう、きちんとわたしの東京になっていました。 空っぽだと思っていたはずの東京は、そこかしこに散らばる思い出たちで構成されていて、いま、わたしはその中でいつも何かを拾いながら、落としながら、呼吸をしています。

元気でいますか。 もう、すれ違うことも、ないけれど。

どうかお元気で。