雨の日曜日

宛先もわからないまま

一番星のような気持ちで

喉の奥がぎゅっとなって、苦しいような、切ないような、 息が詰まるような感覚になることがある。

洗濯物が風になびいているのを見たとき。 触れた指先のあたたかさに驚いたとき。 ベッドのなかから聞く朝ごはんをつくる音、コーヒーのかおり。 きれいな言葉に出会ったとき。 理由もなく、涙が出そうになる。 そんな瞬間はありますか。

東京オペラシティのアートギャラリーで開かれている、谷川俊太郎展へ行ってきました。 最近の私と言えば、久しぶりに気持ち的な部分で電池が切れてしまった感があって、胸がざわざわして、落ち着かなくて、きっと深呼吸が足りていなかったのだと思う。 そんなときは好きな本を読んだり、好きな音楽を聴いたり、好きな場所へいったりするのだけれど、それが今回は谷川俊太郎さんの言葉に触れることでした。

詩がすきです。 なんとなく、詩はこっそり読むものといった位置づけにあるようで、詩集を読んでいる姿が心ない人の目に触れたりすると、「なんで?」と笑われることがあります。わたしはわたしのすきなものを知っているし、そんなひとさじ程度の悪意なんかでは揺らがない程きれいな言葉を知っているから、大切なものは人それぞれだと思うくらいで、気にはなりません。だけど、どうか。

だれかのすきなものを、ばかにしないで。 こころのなかに、普段感じることや思うこととは別の部屋があって、その部屋の中で、ひっそりと、静かに呼吸をしている言葉たちが、います。 誰にもわかられたくない、汚されたくないものたちのひとつです。 谷川俊太郎さんをはじめとした詩人や作家の方々は、日常の些細な風景や、一瞬のうちに通り過ぎていく感情たちをすくいあげて言葉にあてはめて、そっと、教えてくれる。紡ぐなんてとんでもなくて、わたしには受け取るのにも精一杯で、声に、言葉にならない感情が、胸でつかえて、涙に溶けていく。

上手に言葉にすることはできなくても、せめて、たいせつなものを、たいせつにしていられますように。