雨の日曜日

宛先もわからないまま

きみの海は凪いでいるか

はじめまして。 そしていつか、さようなら。 この力いっぱいの泣き声を、きみがわたしの背を越えたとき、 きみは覚えているだろうか。

いまを力いっぱい生きて、心の思うままに泣いて、 そしていつか、わたしのことを忘れてください。 わたしはきみの記憶になんて、なりたくない。 そのかわりにいまのきみの、力いっぱいの心が欲しいと思うのは、傲慢だろうか。 泣き疲れて眠るきみの、頬に問う。 その涙のあとがいつか消えていくように、わたしはきみの、一瞬になりたい。

まだ何も掴めない握りしめた小さな手、いまにも泣き出しそうに歪めた真っ赤な顔。 その姿をみた瞬間、喉の奥が熱くなる。誰しもみんなこうやって生まれてきたんだろう。 たった数十年で、夢も、諦めも、愛も、悪意もその少しずつに触れて、いまの自分が出来上がる。 この子はどうだろう。これから先、楽しいことも、嫌なこともあるだろう。 文脈のない悪意にさらされることもあるかもしれない。 だけど、この子はこれから、なんにでもなれる。どこにでもいける。 宇宙飛行士、パイロット、映画監督、スポーツ選手、小説家、どんな可能性も、ゼロじゃない。 世界中の誰よりも、自由だ。

白く穢れのないやわらかな肌着に包まれた、小さないきものを見て思う。 悲しい出来事からはできるだけ遠いところで、穏やかな日常を送れたらいい。 そして、自分の心が決めた、すきなもの、大切なこと、それらを守れるだけの強さをどうか、手に入れて欲しい。 いまはまだ、握りしめるだけのその手のひらで、将来、きみが掴んで離さないものをひとつでいい、見つけて欲しい。

真っ白なシーツの波間に聞こえる小さな呼吸。 この先きみは、ひとりで漕ぎだす海をみつける。 いつか迎えるその日まで、わたしにその横顔をみせていて。 きみのボートに乗ることはできなくても、わたしはきみの舟を押し出す風になる。 だからきみは、前だけを向いていればいい。

何十年後かのきみへ。 離すこともできるようになってしまったその手で、それでも握りしめているものはあるか。 いま、きみの海は凪いでいるか。