雨の日曜日

宛先もわからないまま

水たまりの世界

いつか、水たまりもできない街になる。

長靴を履いて、お気に入りの傘で出掛けたあの頃、 今ほど雨が憂鬱でなくて、わたしの視線はもっと低くて、歩道橋に登ってみえる景色が好きだった。大人になるにつれて、街はどんどん小さくなる。道は綺麗に整えられて、水たまりも減った。無邪気に飛び込むこともしなくなった。だって、靴が汚れるから。

水たまりに映る景色がすきだった。同じ世界が向こう側にもあって、同じなはずなのに知らないものにみえて、不思議な顔したわたしが覗き込んでいた。なんてことを、久しぶりに思い出した夜。夏が近づいてきた証拠に、昼間の熱が下がりきらない肌から薄く、日焼け止めの匂いがする。大人になると難しいことが増えていくって思っていたけれど、難しくしてるのは自分自身なんだと、いまは思う。

靴が汚れるなんておかまいなしで、水たまりにも飛び込んでいけた小さなわたし。あの頃は またね に次がないことがあるなんて、思いもしなかった。だからいつも笑顔で手を振れていたのかな。SNSで繋がれる時代、いつでも繋がれるから、さよならの現実味が薄れていく。いつでも会えるは、さようならと同じ響き。水たまりの向こうのわたし、どんな顔をしていますか。

いつかまた、会える日まで。