雨の日曜日

宛先もわからないまま

紫陽花も泣けやしない

 紫陽花も見ないまま、梅雨が明けました。夏は夕立と、風鈴の音がすきです。夜、肌に残る日焼け止めの匂いが、これまでの過ぎた夏を懐かしくさせますね。

 夏、というと何を思い浮かべますか?お風呂上りのアイスクリーム。ラジオ体操のスタンプカード。汗まみれで駆け抜けた部活の日々。鼻緒の靴擦れが痛くてしゃがんだまま、こんな人混みでも彼にはもう会えないと知って泣いた、浴衣の日。どことなく懐かしい記憶なのは、大人になるにつれて夏らしさを感じる機会が少なくなっているからかな。確かに夏は誰の元にもやってくるけれど、主役は子どもな気がしてしまう。

 外に出るのも億劫だけど、昼間でかけた後、夕方の帰り道で日差しが柔らかくなっていることを感じると、悪くないなと思う。ぬるい空気が肌にまとわりついて、夕焼けも微睡んでいるみたい。昼の痛いほどの日差しはどこへやら、優しく風が吹き抜けちゃったりなんかして。打ち水をした路を買い物帰りの自転車が行く。どこかのおうちから、カレーの匂い。お気に入りの傘も、今年は出番が少なくて残念がっている。雨粒が紫陽花の葉を弾くのをみるのが好きだったけれど、今年はチャンスを逃しちゃったな。

 マンションの廊下、蝉の死骸で知った夏があった。アスファルトの照り返しを睨みつけて歩いているうちに、空に浮かんだ入道雲にも気付かないままその年の夏はきた。ラジオでは白球が飛んでいく。季節を見逃さない生活がしたい。風鈴の音を聞き分けて、夕立あとの街を歩いて、日焼け止めが弾く汗を拭って。

 大人になったあなた。大人に、なってしまったわたしたち。それでも、夏の主役になってやろう。今年はいくつ、夏を見つけられるだろうか。