雨の日曜日

宛先もわからないまま

傷みに似た

言葉にするほど軽くなる。希釈されていく。本当に大切なものは言葉になんて、できない。

 考え方が違ったのだと思う。さらにいえば、大切に思うその思い方が、決定的に違った。言葉を求められて、怖くなってしまった。口ごもるわたしに、悲しそうに揺れた瞳がすべてを伝えていた。

 言葉に、何の意味があるのだろう。言葉の力を信じている。裏腹に、言葉の無力さもたくさん、感じてきた。だって言葉にすることで失うものは間違いなくあって、気持ちすべてを正確に表現すること、伝えること、既存の言葉に誰のものでもない自分だけの気持ちを当てはめることは、不可能だ。それに。

 言葉は呪いで、枷で、決して永遠なんかじゃない。人の気持ちは変わっていく。いつか言葉は嘘になる。それがどんなに強く、心の底から感じた気持ちだとしても。いつか相手を傷つけてしまう言葉なら、使いたくない。本当はこの考えこそが、相手に対する裏切りなのかもしれないけれど。

 言い訳をしたいわけじゃない。保険をかけたいわけじゃない。だけどどうしても、抵抗がある。告白も約束も、苦手だ。意識的に吐いた嘘と、結果的に嘘になってしまった言葉では、意味合いが全く違う。無責任な言葉を、相手に背負わせたくない。

 ひとりで立って歩きたい。誰にも背負わせずに、背負わずに。大切なものは大切なままで、誰にも触れさせず、相手のものにも触れずに、ただ隣にいることは無理なのかな。頼ることと甘えること、一緒にいることと寄りかかること。わたしにはその境界がわからない。

 傷つけてしまった。背負わせてしまった。わたしの大切にしている気持ちが、誰かを傷つける事実。ごめんねなんて、言えないけれど。わたしはこれからも大切なことを変えられずに、生きていくけれど。

 身動きできない気持ちが宙ぶらりんのまま、わたしの輪郭を色濃く形作る。秒針は止まらない。