雨の日曜日

宛先もわからないまま

これが最後だとしても

コーヒーを飲んで、深呼吸をする。毎日見ているこの空は、見上げるひとによってはきっと、低くて狭く見えるんだろう。いつの間にか、慣れてしまった。

いつもの早足も、味のしないランチも、苦いコーヒーも。冷えた指先に、ぬるくなったコーヒーがこたえる。明日もきっと、あなたはしあわせ。

最近、もう会うのはやめようと決めたひとがいる。勝手に決めて、それなのに寂しくなって、さらには自分の勝手さに落ち込んで、こうやって文章を書いている。仕事はそれなりに忙しくて、埋もれていく、まぎれていく。このぐちゃぐちゃな感情を追い越して、毎日は正しく過ぎて行く。

人間関係はいきものなのだな、と思う。あの頃、あんなに近くにいて一緒に時間を過ごしたのに、久しぶりに会ったとき、ボタンをかけ違ったような居心地の悪さを感じてしまった。ふたりでいたあの頃はいまよりもっと、空も広く高かったような気がする。会わない時間が長かったのだから、考え方も生活も、変化があるのは当然だと思う。でも、お互いの印象はあの頃から変わらないから、うまく受け入れられない感情があって、それがお互いを窮屈にする。息苦しい。

会わない間に変わったものを受け入れられずに押し付けるなんて、それは傷つけることと同じだろう。一緒にいることを窮屈に感じてしまうのは事実なのに、心が大切に思っていたことを覚えているから、うまく距離がとれなくて苦しい。こんな感情があるなんて、大人になってはじめて知った。

ずいぶんと勝手な話だ。偉そうに、そう言われるのも当然だと思う。でも、いまの窮屈な関係でいることがあの頃の記憶を汚すなら、いっそのこと離れてしまいたい。いまは、距離をとること以外、わたしにとってふたりの関係を大切にする、繋ぎとめる方法が思いつかない。もしこれから先、二度と会うことがなくなって、これが最後になってしまったとしても。わたしは、あなたから離れることを選ぶよ。黙って離れるわたしにもしも気付くことがあったとしたら、どうか、わたしを責めて。そして、いつかさっぱり、忘れて欲しい。

飲み干したコーヒーのカップの底、溜まった粉は見ない振りで、席を立つ。擦り減ったヒールの踵がアスファルトを鳴らして、狭い空は見えなくなった。